一週間前…2008年9月22日にばあばちゃんが亡くなりました。
ばあばちゃんの年齢や状態を考えれば多少なりとも覚悟をしておくべきだったのに、何の覚悟もできてませんでした。 8月の下旬から入院はしてたのですが、回復してきていて元気に退院できるものと信じてました。 月曜日に病院からの電話が鳴った時も、「おやつ持参OKのお知らせかな〜」とのんきに電話をとりました。 容態の急変でした。
嘘でしょ? 嫌よ。 もう一度だけ…もう一度だけでいいからばあばちゃんを返して〜。 何の覚悟もできてなかった愚かな娘は、この一週間その言葉を繰り返してます。 まだできる事がいっぱいあったはず、ばあばちゃんもして欲しい事があったはず。 「今度ああしよう」「今度こうしよう」の「今度」は無いと思い知りました。 先人たちが「後悔先に立たず」「墓に着物は着せられぬ」という言葉を残してくれてるのに、わが身に降りかかるまで判らなかった馬鹿者です。
お別れの兆候は何も無かったのでしょうか。 今思えば最近、ばあばちゃんは私と目が合うとニコニコするようになってました。 元から良く笑ってくれたばあばちゃん。 「だいすけが相変わらずびびりで困るわ〜」と言うと「あらあら」というような顔で笑い、「今日こんなドジをしちゃった」と言うと「ププッ」と吹き出すように笑ったり。 それが可笑しな事も言わないのに目が合うだけでニッコリ笑うようになってました。 自宅介護をしてた時、なかなか「ありがとう」の言葉が言えなかったばあばちゃん。 一言「ありがとう」と言ってくれたらもっと頑張れるのに〜と思ったものでした。 あのニコニコは「そろそろ逝くわよ、ありがとう」という意味だった気がします。 どうして気付かなかったんだろう。
今思い浮かぶのはニコニコしてるばあばちゃんの顔ばかり。 笑顔を残してくれる事が、ばあばちゃん最後の親心だったのだと思います。
在宅介護中は遠出できない私のために、東京神奈川はもとより、埼玉千葉方面からも電車をいくつも乗り継いだり、慣れない車を運転して家の近くまで遊びに来てくれたお友達がたくさん居ました。 「ドタキャンOKだからね」と言ってそっちゅう来てくれたお友達も居ます。 遠くて会えなくても、励ましや応援のメールやお手紙もいっぱい頂きました。
いつでも「大丈夫です」「出来ます」と言って、「無理です」とか「難しいです」とか全く言わなかったケアマネージャーさん。 いつもばあばちゃんと私の様子を気にかけて下さってたご近所さん。 ばあばちゃんの笑顔をいっぱい引き出してくれて、折れそうになる私の心を支えてくれただいすけ。 主人の人生で一番忙しかっただろう4年間は、介護も修羅場の時期で私は24時間ばあばちゃんにかかりきり…迷惑をかけっぱなしの主人。
もう書ききれないくらい大勢の人にお世話になり在宅介護を支えていただきました。 本当に、本当にありがとうございました。
|
2008年09月29日(月)
No.95
|
|