家の中が公衆トイレのような臭いに包まれていた。 何ヶ月も入浴せず、トイレにも行かない時が続いた。 一日中テレビを見て、椅子に座っている。 足はむくみ、象の足のようになっている。 お風呂に入ろうと言うと「具合が悪い」と言う。 じゃあ、お医者さんに行こうと言うと「お風呂に入らなきゃ行けない」と言う。 まるで禅問答のよう。 トイレまで間に合わないので、リハビリパンツにした。 すると、それをいい事にオムツにするようになってしまった。 オムツパットも換えさせてくれない。 「まだ出てない」「さっき換えた」と言って、動かない。 下着も服も、既に排出物で汚れている。 もちろん、着替えもしない。 椅子やベッドにバスタオルを敷いて、マメに換えるしかない。 たまりかねて数週間経つと、怒って着替えをさせるが、着替えた服や下着は 洗っても使えないほどの臭いを放っている。 着替えるたびに、廃棄処分。 家にこもる臭いのため、私も外出の度に着替える。 それでも、何も知らない知人に「どっかで、公衆トイレの臭いしない?」と言われる。 |
とにかく朝起きたら、夜寝るまでテレビを見ている。 画面から目を離さない。 だから食事も3時間くらいかかる。 元気な頃から通っていた病院の主治医の先生は、「テレビに依存するボケもあるので、 コンセントを引っこ抜いちゃってください。」と仰った。 だが、テレビを消そうとすると「他に誰も話す人がいないから、テレビだけは消さないで」 と言う。 それなら仲の良かったお友達を「私が車でお迎えに行って、またお送りするから、 来て頂こう」と言うと、「どうしてそんなひどい事するの」と言う。 今の姿を見られるのは、嫌らしい。 気に入らない事を言われると、「今日死ぬから、好きにさせてよ」が毎回の返事。 そう言えば、私が嫌がって思いどうりになると思っている。 それも毎日聞かされれば、慣れてくる。 「もう、その台詞は聞き飽きた。一度死んでから言ってよね」と言い返すようになる。 |
テレビのワイドショーが「糖尿病」をやれば、糖尿病だといい、「腎臓病」をやれば、 腎臓病だと言う。 その度に、お医者さんへ連れて行った。 内科の先生も、外科の先生も、何処も悪い所は無いと仰る。 それが気に入らないのか、お医者様にも行かなくなった。 「飲まないと死ぬ」と言っていたお薬も、本人が来なければ出せないと言われると、 飲まなくなった。 整腸剤と軽い精神安定剤なので、別に影響はない。 |
実家に一人でいた時から、入浴もせずに外出もしなくなっていた。 毎月一週間はうちに連れ来て、入浴をさせ、美容院に連れて行っていた。 その頃から、甘いの辛いの、薄いの濃いの、重いの軽いの、暑いの冷たいのと、 文句が多かった。 一緒に暮らすに当たって、相当の覚悟はしたつもりでいたが、現実はもっと厳しかった。 何でも人のせい、物のせいにする。 時々、意味不明の事を言うようにもなった。 「あなたが部屋の電気を消した。」とか…電気は点いてるし、もちろん消してもいない。 オムツを替えてる最中に排便をし、それを手でつかんでクニュクニュとした時は、もうダメだ …と思った。 歩かないので足はどんどん弱り、もう立っているのもやっとといった状態。 このまま、寝たきりになるのを待つしかないのか…。 誰にも言わないでという母と二人で、事態も感情もどんどん煮詰まって行った。 このまま、私達はどうなってしまうのか…と。 |
ちょっとしたきっかけで、今の状態を人に話した。 そこから事態は、大きく変わっていく。 ご近所の方や、友人知人が、いろいろな事を教えてくださった。 まず、近所の人が教えてくれた保健婦さんに会いに、区役所の中にある保健所へ。 様子を見に来てくださった保健婦さんに、介護保険の申請を勧められた。 その年の4月から、介護保険が始まった事は知っていたし、うちにも書類は来ていた。 ただ、それは病気の人を介護するための物で、うちの母のように何処も悪くないような 場合は適用されないと思っていた。 保健婦さんは、「介護が必要な人がいれば、理由は関係なく申請できます。 介護される人だけでなく、介護する人を助ける為の保険ですから。」と仰った。 母よりもずっと軽い状態でも申請できると言う。 申請の書類を出しに行った時も、「なぜ、4月に申請しなかったのか」と聞かれた。 テレビや本などで介護されてる人は、ほとんど病気が原因で動けなくなった人だった。 思い込み、無知…は恐ろしい。 |
申請には、お医者さんの診断書がいる。 でも、母はお医者さんに行かない。 それも、近所の方が、往診してくださる先生を紹介してくださった。 自分でも探した事はあるが、見つけられなかった。 しかも老人医療に力を入れている先生でした。 書類を揃え申請すると、調査の方がみえて、母と私それぞれと面談。 母の面談の内容を見て、苦笑する。 毎日歯を磨くと答えている…洗面所にも行かないのに…他諸々。 結果が出るまで、約1ケ月かかる。 その間に、お医者さんが紹介してくださった、看護センターの方に来ていただく。 看護婦さんがやってる所なので、ケアマネージャーもそこの方にお願いする。 企業のケアマネージャーだと、色々問題があると聞く。 介護保険の申請が通るまで、週に一回看護婦さんに来ていただく事になった。 血圧や体温など、簡単な体調チェックをして、入浴もさせてくださる。 私が入れていた頃は、やっと説得して入浴させても、2時間はかかっていた。 母も看護婦さんに言われれば、仕方なく入浴するようになった。 それもやがて慣れてくると「今日は止めておきます。」とか「今度にしてくださる」 と、拒否し始めるのだが…。 お医者さんに、全体の健康診断もして頂いた。 腎臓、肝臓、血圧etc…異常なし。 栄養状態、すこぶる良好。 確かに食欲は、ずっとあった。 |
介護保険の結果が出た。 要介護3と認定された。介護支援、要介護1〜5の6段階ある。 要介護3だと、かなりの支援を受けられる。 全部使う必要は無いので、様子を見ながら少しづづ利用して行こうと思う。 何処も悪くないのに、なぜ歩けないのか…。 主治医の先生の紹介で、筋電図(筋肉の異常を調べる)、脳のCTスキャン、 神経内科の検診を受けることになった。 筋電図は異常なし。 脳のCTスキャンは、脳梗塞、脳溢血などの跡は無かった。 そういう物が、歩行機能の障害になることもあるらしい。 ただ年齢の割りには、頭頂部の陰が大きいらしい。 これは年を取ると出てくる物だが、母の場合、動かない事で血流が悪くなり、 広がったようだ。 運動をする事で、多少の改善は見込めるらしい。 神経内科の問診で、母が先生と何を話したかは、詳しくは判らない。 ただ私が思っていた、父が亡くなったことは、それ程影響を与えていないようだ。 その後にあった出来事の方が、大きいと思われる。 その事に関しては、事情があって今は書けない。 実際、当時は毎日のように話してたその話も、今はほとんど覚えていない。 母にとっては、その方が幸せだと思うので、私もその話はしない。 |
主治医の先生の所でやっている、デイケアに行くようになった。 朝、車で迎えに来てくれて、昼食が出て、シャワーを浴びて、リハビリをしてくれて。 みんなでゲームなどをして、おやつを食べて帰ってくる。 最初嫌がってた母も、明るい顔で帰って来るようになった。 しかも、自分で週一回を、週二回に増やした。 でもなぜか、行く前は必ず「今日は行かない」という。 帰ってくると、楽しかったと言うのに。 その代わり、看護婦さんによる入浴は中止しした。 主治医の先生の往診が、2週間に一回あるので、健康面も心配がなくなった。 相変わらず、家ではテレビを見て動かないし、私の言うことも聞いてくれない。 それでも、私も母も、目が外に向き、閉塞していた心も広がった。 お医者さんやケアマネージャーさんに、いつでも相談できるという安堵感もある。 母が捨てさせずテーブルに並べていた、腐ったり、黴たりしていた食べ物も、保健婦さんの 「捨てちゃってください」の一言で捨てた。 母は何も言わなかった。 毎日ではないが、デイケアに行くから着替えもするようになった。 オムツのパットも替えさせてくれるようになり、公衆トイレの臭いも消えた。 利尿剤を飲む事で、象のようにむくんでいた足も、だいぶ縮んだ。 同じような状態にある、あるいは経験を持つ友人や知人、近所の人たちからアドバイスや 情報を頂き、気持ちも軽くなった。 ほんの、2ヶ月間での出来事。 |
その後、足のリハビリをしてくれる施設を探してもらう。 一時よりは良くなったとはいえ、家では全く動かない。 このままでは、いずれ寝たきりなってしまう。 体は何処も悪くないのだから、足さえ治れば、何処でも行けるようになる。 トイレも自分で出来れば、私ももう少し自由になれる。 しかし、人気のある施設は、どこも順番待ち。 ケアマネージャーさんが色々探してくれた。 企業の紐付きではないので、あらゆる条件で探してくれる。 結局、ここまで来たのだから急ぐ事も無いので、評判のいい施設の順番を待つ事にした。 9月に申し込んで、空きが出たのは12月の始めだった。 もちろん、母は最初嫌がった。 でもその施設は、歯医者さんも来てくれる。 |
母は、実家にいた頃上下二本づつくらいの歯で食事をしていた。 同居し始めてから、3ヶ月かけて土台を治し、仮の歯を半年間入れた。 半年後、本当の義歯を作るため、再び歯医者さんに通い始めたのだが、 もう少しで出来るという12月に、突然行かなくなった。 理由は、暮れになるとある、テレビのいろいろな特番を見たいから。 歯医者さんは、新しい歯で新年を迎えられるようにと、準備して下さっていたのに。 仮の、仮の歯は、一週間ではずす予定の物だった。 その歯で、2年近く食事をしている。 歯医者さんも「あの歯で噛めるんですかねェ」と心配してくださるが、もう、 外に出られる状態ではなくなっていた。 好きな物はもちろん、ご飯も噛みにくい状態になっていた。 さすがの母も、この歯は何とかしなければと思ったようだ。 かと言って、歯医者さんに通うのは嫌なのだ。 |
居ながらにして、歯が治せる…に釣られて入所を承諾した。 12月の始め入所。 その後、座りっぱなしが祟ったのか、背骨を圧迫骨折。 背骨の一部が、潰れたのだ。 一ヶ月入院するが、病院のリハビリセンターには入れて頂けなかった。 要介護で、本人にリハビリの意思が無い場合は、ダメらしい。 まだコルセットは付いてるし、家で見るのは大変だろうから、リハビリをしてくれる施設を探すか、 別の病院を紹介してくださると言う。 入院前に居たリハビリ施設が、優先的に受け入れてくれる事になった。 それまでならと、病院も退院を延期してくれる。 あちこち移すのは、本人も家族も負担が大きいだろうと配慮してくださった。 リハビリもしてくれる介護施設だが、本人はあまりやりたがらない。 骨折の方は治癒したものの、足は余り動かない。 ただ、催し物などもあるその施設は、母も居心地がいいらしい。 「家に帰る?」と聞いても、「どっちでもいい。」と言う。 家からも近いので、毎週<だいすけ>を連れて通ったが、催し物の最中だと<だいすけ>にも 会ってくれない。 |
その後退所して、現在にいたる。 施設では、「家と施設と半年づつでもいいですよ。」と言って下さった。 ただし、相変わらず空き待ちなのだが、一度入所してると入りやすいようだ。 何よりも、いざとなったら行ける所があるというだけで、心強い。 デイケアも、前に通っていた所と、その施設のと二つ通っている。 昔の知人に会うのを嫌がる母も、同じような人がたくさんいるのは気が楽なようだ。 ただ、家に帰ってから、また動かなくなっている。 わがままも出るし、多少のボケもある。 3,4時間ごとのオムツの交換、食事おやつ…と、自分の生活はほとんど無い。 それでも一年ちょっと前、どうにもならない状態で、二人で向き合っていた事を思えば、 天国と地獄の差がある。 今私達には、お医者さん、ケアマネージャーさん、友人知人、介護施設… たくさんの人たちがついていてくれる。 |
本来、良い事があれば誰かのお陰、悪い事があれば自分のせい。 そういう両親でした。 父はそういう人のまま亡くなりました。 母がなぜ、こんな頑なな人になってしまったのか。 今それを考えても仕方ありません。 昔は、天然ボケの所があり、私や弟は死ぬほど笑わされたものでした。 だから、お返しに一日5回は笑わせてあげようと思っています。 <だいすけ>が、それを手伝ってくれます。 基本的に、母の介護に主人の手は借りないことにしています。 同居してもらってるだけでありがたいからです。 でも休みの日には、母の好きな卵焼きやお好み焼きを作ってくれます。 私がやるべき家事を、代わってやってくれることもあります。 父の墓参りにも、代りに行ってくれています。 年に何回か行っていた小旅行も、同居以来4年半、一度も行っていません。 たくさんの、不便をかけています。 結局、一人では何も出来ないのです。 周りの人達、すべてに感謝しています。 |